2011年1月17日月曜日

新国立劇場 「トリスタンとイゾルデ」 劇評

毎日新聞 評・大木正純
音楽に集中できた
「新国立劇場13年目にして初という「トリスタンとイゾルデ」の公演が、こちらは同劇場には12年ぶり、満を持しての登場となる大野和士の指揮で行われた。(12月15日)
 この歴史的傑作が容易に上演されぬ背景には、標題役に超弩級のワーグナー歌手2人が必要という、世界的にも実現困難な事情がある。今回招聘されたスティーヴン・グールド(トリスタン)とイレーネ・デオリン(イゾルデ)は、むろん理想とは言わないまでも、その要求に応える希少な器だろう。
 グールドの柔軟な美声に対して、デオリンの声は少し硬い。だが、ともにパワーは十分。もっとも、力に頼れば頼るほど結果が裏目に出るのが、このオペラの落とし穴だ。第1幕から第2幕前半の愛の歓喜に至る部分には、いくぶんその危うさがあった。しかし声を抑えた第2幕中盤から、状況が好転。「夜の帳よ」の二重唱は、優しくそれを包む管弦楽(東京フィル)と見事に一体化して、劇場を陶然たる空気で満たした。さらにもうひとつの山場、イゾルデの「愛の死」においても、デオリンの健闘を讃えてよいと私は思う。
 そのほかエレナ・ツィトコーワ(ブランゲーネ)、ユッカ・ラジライネン(クルヴェナール)ら、脇役陣もおしなべて悪くない。
 この日、最も盛大な喝采を浴びたのは大野だ。キャリアを重ねたいま、彼の指揮は情熱の迸るかつての直線的なダイナミズムから、感情の起伏をこまやかに刻む熟成の方向へと変貌しつつある。それがひたすら愛の内面を描く「トリスタン」にふさわしいものであるのは、改めて言うまでもあるまい。
 演出はイギリスの気鋭デイヴィッド・マクヴィカー。闇に浮かぶ月を心理の象徴として投影したり、舞台の遠近法をさりげなく用いるなどの趣向はあるが、全体的には音楽に寄り添い、邪魔をしない。昨今には珍しく、ワーグナーの音楽に集中できたのは、特筆大書すべきことである。」

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