2013年1月8日火曜日

日本橋三越 本館1階 中央ホール グランレヴュー 日本映画批評家大賞 開催記念トークショー

平成25年1月7日(月)
12:30~13:00

日本橋三越
本館1階 中央ホール
グランレヴュー

日本映画批評家大賞 開催記念トークショー

●出演 津川雅彦 渡辺大
●進行 渡部保子(映画評論家)
協力:一般財団法人 日本映画批評家大賞

お昼に日本橋三越の中央ホールに津川雅彦のトークショーを聴くことにした。
NHKで元旦午後7時20分から『御鑓拝借~酔いどれ小藤次留書~』に津川さんが出演されていた。また午後4時からはプレミアムドラマ『生涯ライバル 兄・長門裕之×弟・津川雅彦』をBSで観て感動したので本人を見てみたかった。
正直、渡辺大、渡部保子の両名は殆ど知らなかった。

念のため参加者のプロフィールを簡単に確認しておこう。

津川雅彦
1940年(昭和15年)1月2日生まれ。
グランパパプロダクション代表。
父は沢村国太郎、母はマキノ智子、実兄は長門裕之。妻は朝丘雪路。

渡辺大
1984年8月1日生まれ。
グランパパプロダクション所属。
俳優の渡辺謙の長男で、モデル・女優の杏の実兄。

渡部保子
福島県会津坂下町生まれ。福島県会津女子高校卒、日大芸術学部映画学校から映画世界社(『映画ファン』と『映画の友』を発行、編集部長は淀川長治氏)に『映画ファン』編集部員として同誌が休刊になるまで在籍。日本映画ペンクラブ会員。日本映画批評家大賞選考委員代表。

渡部保子さんの進行で話が進む。
津川さんが1月2日に73歳になったことから話し始める。
前は本当に良い男だったがこんなになってしまったと笑わせる。
『映画ファン』昭和21年7月30日号の津川さんの写真などを客席に回して本当に良い男だったと説明。

1月1日には津川さんがNHKのドラマ『御鑓拝借』に出演。渡辺大さんは2日にテレビ東京『白虎隊』に出演。渡辺大さんは昨年は映画『天地明察』に出演し、会津に縁がある。
渡部保子:自分は会津の生まれで、当時は東京まで夜行で9時間かかった。女学生のとき、土曜日に夜行で東京へ、日曜日に東京で映画を見て、また夜行で会津に帰るという生活をしていた。
津川:松竹に移った1作目は会津で撮影。19歳。
渡部:踊りは私が教えた。
・・・当時は会社を変えると半年間映画に出られないペナルティーがあった。
津川:1年間干された。その間アメリカに行ったが、松竹がお金を出したが後でお金は返した。
渡部:当時は映画会社は景気が良かった。初めて京都に行ったときに大接待を受けた思い出がある。津川さんが干されたときは、対談を設定したり仕事を作ってあげた。自分が末っ子だったので姉さんぶりたかった。
津川:当時は週刊誌と役者は仲が良かった。デートのとりもちもしてくれた。今の週刊誌とテレビは最低になった。編集長がいやしい男ばかり。文章もへた。
大は28歳。自分の28歳時に比べて本当にしっかりしている。結婚して子供もいる。自分はスキャンダルで大変だった。
津川さんは、第13回に荒木とよひさ監督の「いつかA列車に乗って」で主演男優書を受賞。
津川:初監督の作品に出てあげるのが好き。伊丹などにも出た。いい映画だった。映画に進出してくれる人を助けたい。
第16回にマキノ雅彦名義「寝ずの番」で監督賞。
配給がなかなか決まらなかったが角川がやってくれた。
渡部:津川さんが良く宣伝してくれたと角川さんが言っていた。
津川:監督は楽だ。素人で務まる。スタッフ・役者がプロ。なになにしたいと言えばやってくれる。ただいい役者を選ぶ目は持っている。中島らもが原作。ゆっくり話す面白い人だった。打ち合わせの日に来なかったので電話したら奥さんが階段から落ちて病院に行ったと話していた。そしたらそのまま死んでしまった。本当に残念だ。
「次郎長三国志」は牧野雅弘に勝てたと思った。昔のは、子分は良かったが次郎長が良くなかった。今回は、次郎長の中井貴一や鈴木京香が素晴らしく良かった。
「旭山動物園 ペンギンが空を飛ぶ」
映画より動物園が本当に面白い。動物が活き活きしている。ライオンが檻の中にいると思っていない。密林にいると思っている。獰猛な感じが良い。飛び込んだり動き回っている。
秘訣は食べさせないこと。⇒毛艶が良くなる。⇒食べたものが早く栄養になる。
常にお腹が空いていて、空いたからご飯を食べたい⇒この生活が人間にも良い。

渡辺大
おととし「ロストクライムー閃光ー」で主演男優賞。
3億円事件は生まれる16年前の事件。
最後に鶴見川に飛び込むシーンがあるが、11月くらいに9時間くらいかけて撮影した。大変だった。

などなど。

 

0 件のコメント: