2012年11月12日月曜日

新国立劇場 演劇講座 ミラー・アメリカ・20世紀、そして21世紀

平成24年11月10日(土)
18:00~19:45

新国立劇場 小劇場
 
 


マンスリー・プロジェクト 11月

演劇講座
ミラー・アメリカ・20世紀、そして21世紀

講師:水谷八也(翻訳家・早稲田大学教授)
    黒川陽子(劇作家)

アーサー・ミラーは『セールスマンの死』『るつぼ』で、20世紀半ばのアメリカを描いたことで知られているが、21世紀からとらえ直すと何が見えてくるのだろうか。
晩年の作品も含めてミラーの目に映ったものを検証する。

<講師プロフィール>
水谷 八也(みずたに・はちや)
学習院大学大学院人文科学研究科修了。現在、早稲田大学文化構想学部教授(文芸・ジャーナリズム論系)。共編著書に『アメリカ文学案内』、翻訳書にソーントン・ワイルダーの『危機一髪』『結婚仲介人』、アリエル・ドーフマンの『谷間の女たち』『世界で最も乾いた土地』、J・バーグマンの『黒人差別とアメリカ公民権運動:名もなき人々の戦いの記録』など。新国立劇場では今回のミラー『るつぼ』のほか、ドーフマンの『THE OTHER SIDE/線の向こう側』、ワイルダーの『わが町』の翻訳を手がけている。

黒川 陽子(くろかわ・ようこ)
1983年、栃木県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業後、早稲田大学文学研究科修士課程に進む。学部・修士ともにアーサー・ミラーを研究。修士論文では「アーサー・ミラーと<笑う>1920年代」のタイトルで、ミラーの作品における「笑い声」の独特の位置づけについて分析する。また、2007年に『ハルメリ』で第13回劇作家協会新人戯曲賞を受賞。2008年より劇作家として活動し、青年団リンク・サラダボールをはじめ、複数の劇団に戯曲を提供している。現在、劇団劇作家に所属。

「ミラー・アメリカ・20世紀、そして21世紀」
アーサー・ミラー(1915-2005)

◆1 『セールスマンの死』(1949)トニー賞、ピューリッツァー賞
ベン/ウィリー・ローマン - リンダ   チャーリー
ビフ ハッピー バーナード

◇1-1 ミラーの扱っている問題  表層(社会的側面)
・資本主義の問題:都市化、セールス、ローン、物質⇒個人への重圧⇒Willyの浮気☛ないことに

1-a 1幕冒頭のト書き
私たちの前にあるのは、セールスマンの家。その背後に角ばった形(のビル)が、取り囲むように、いくつもそびえ立っている。空から青い光がその家と前舞台だけに降り注ぎ、その周囲に恐ろしいようなオレンジ色の光。

1-b ハッピー:一体全体、何のために働いているのか、わからないんだ。時々アパートの部屋にすわって、-一人でさ。払っている家賃のこととか考えると、バカらしくて。でもずっと俺が欲しかったのはそれなんだよ。自分の部屋とか、車、それに女たち。それなのに、クソッ、わびしいんだよ(I’m lonely)。

1-c ウィリー:とてもわびしくなってしまって(I get so lonely)- 特に仕事がうまくいかなくて、話す相手がいないときは。もう何かを売るなんてやるもんか、おまえのために稼ぐのも、仕事とか、子どもたちのために仕事なんかやるもんかって気になる。

◇1-2 ミラーの扱っている問題  中層(日常生活的側面)
・様々なイメージの浸食  広告(1920年代)
・「何者か」になる夢(中産階級) ⇒ 私ではない何か  ☛  現実否認
・「男らしさ」のイメージ
言葉による現実の捏造

1-d ウィリー:支払いはどのくらい?
リンダ:ええと、月初めに冷蔵庫に16ドルー
ウィリー:16ドル?
リンダ:ええ、ファンベルトがダメになったから、その分が1ドル80。
ウィリー:ありゃ買ったばかりだろ。
リンダ:ええ、でもそういうもんなんですって。最初のうちは。
ウィリー:だまされてるんじゃないよな。
リンダ:だって一番大きな広告を出してたんですよ。
ウィリー:そうだな、いい物なんだよ。

1-e ビフ:親父は何年も笑われてきたんだよ、わかるだろ、なぜか。オレたちはこんな精神病院みたいな町の人間じゃないからだよ! どっか、広い表でセメントこねてるべきなんだよ、でなかったらー大工とか。

1-f ビフ:オレは今日、ペンを握って11階を駆け下りた。そして突然立ち止まったんだ、聞いているのか?そのオフィス・ビルの真ん中で、わかるか?そのビルの真ん中で立ち止まった、そして見たんだー空を。そしたらこの世界で好きなものが見えた。働くこと、食べ物、すわって煙草を吸うとき。そして握っているペンを見て、つぶやいたよ、一体なんだってこんなものを握ってるのかって。なんでなりたくもないものになろうとしているんだ、オレは?こんなオフィスの中で、何やっているんだ、いやしい乞食みたいなことをやって、欲しいものは全部外にあって、オレを待ってるっていうのに、自分が何者かわかったって言うのを! なぜそれを言っちゃいけないんだ?

1-g ウィリー:そこだ、いつも言っているのは、バーナードは学校じゃいい成績かもしれんが、ビジネスの世界に出てみろ、おまえは奴の五倍も先を行くだろう。それだよ、オレが神様に感謝しているのは、おまえたちがアドニスみたいに美青年だってことをさ。ビジネスの世界じゃ見た目のいい男が、人の興味を引き付けるような男が先頭に立つんだ。好かれてりゃ、困ることはない。オレがいい例だ。バイヤーんとこへ行ったって、待たされたことはない。「ウィリー・ローマンが来たぞ!」その一言で、サーッと入って行ける。
ビフ:ガツンってやったの?(Did you Knock dead,Dad?)
ウィリー:プロヴィデンスじゃガツンと、ボストンじゃ徹底的にやってやった。(Knocked’em cold in Providence,slaughtered’em in Boston.)

1-h ベンのイメージ:「じゃyングルに入ったとき、オレは17だった。出てきたのは21のときで、金持ちになってた。」

◇1-3 ミラーの扱っている問題 深層(個人の内面)
・現実を見なかったWilly
・そのWillyに育てられたBiff ⇒ 「私とは何者なのか」

1-i ビフ: 「今日オレは気がついたんだよ、自分のことで、それをあんたに説明したかった。」
「いいか、あんたは本当のオレをみようともしなかった、それで議論してどうなるって言うんだ?」
「さぁ、これから聞かせてやろう、あんたがどんな人間か、オレがどんな人間か!」
「この家じゃ、10分と本当の話をしたこと、ないじゃないか!」

1-j ビフ:オレはひと山10セントの人間なんだよ、あんただって同じだ!
ウィリー:オレは一山10セントじゃない! オレはウィリー・ローマンだ、あまえはビフ・ローマンだろ!

1-k ビフ:オレは何でもない! 何でもない人間なんだよ。(I’m nothing)わからないのか?
ここに悪意なんかない。オレはこのままのオレでしかない、ただそれだけだ。

1-l ビフ:親父は自分がどんな人間か一度もわかっていなかった。
チャーリー:誰もこの人を非難することはできない。君はわかってないんだ、ウィリーはセールスマンだったんだよ。セールスマンには人生の基盤なんてないんだ。ボルトをナットにはめるわけじゃないし、法を説くわけでも、薬をくれるわけでもない。笑顔とピカピカの靴だけが頼りで、空のずっとむこうに漂っている。だから微笑み返されなかったらー一大事だ。それに帽子に染みでもつけようもんなら、一巻の終わりさ。だから誰もこの人を責めることはできない。セールスマンは夢を見なくちゃいけないんだよ。夢がつきものなんだ。

ハッピー:オレはそんなに簡単には負けないよ。オレはこの町にとどまる。そしてやってやる。ローマン・ブラザーズさ!
ビフ:オレは自分が誰だかわかってる。

ウィリーとビフに共通する「私」の要素 ⇒ 自然・肉体労働 ⇒ 現実

◆2 『るつぼ」


◆3 ミラーの描いた20世紀の一側面
・イメージ(≠現実)による空気感染 による 現実否認 と 実在

ミラーのこのような問題意識は、後期の作品にも見られるのか?

◆4 ミラーの60年代以降の問題意識


◆5 『モーガン山下り』(1991年) (The Ride Down Mt.Morgan)


◆6 『演技の終わり』(2004年) (Finishing the Picture)
略 
 

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