2012年2月3日金曜日

新国立劇場で 演劇講座 シリーズ「日本の劇」Ⅵ 破壊から再構築へ を受講

平成24年2月3日(金)
18:30~20:30
新国立劇場 5階情報センター

破壊から再構築へ
講師:ふじたあさや(劇作家・演出家・昭和音楽大学客演教授)

アングラの次に小劇場の時代が来たーという言い方があるが、小劇場という言い方でくくれるのか。くくられることを拒否するさまざまな個。多様なそのさまざまの個を、ゆるやかにつなぐ「演劇という川」。

●60年代の演劇革命によった、何が変わったか? 演劇を支える三つの要素ーー誰が、何を、いかに描くかーーのうち、<何を>が最優先だったリアリティーを大切にした時代から、<誰が>(例えば麿赤児や白石加代子が)、<いかに>(不忍の池にとびこんでみたり、テントを開けて新宿の風景と作品世界をつなげて見せたり)も重要だぞ、という時代に踏み込んだ。どんな空間でも演劇が成り立つこともわかった。「劇的」という言葉が、葛藤対立の鋭さによるだけでなく、存在そのものが劇的である俳優や、表現の意表の突き方をも意味するようになった。「けたたましさ」「すさまじさ」「はげしさ」「ものものしさ」「おどろおどろしさ」さまざまな言葉で語られる意表の突き方が、演劇の魅力のひとつになった。

●考えてみればこれらは、演劇が本来持っていた力だった。きれいごとになる前の歌舞伎も持っていたし、リアリズムを唱える前の持っていた。千田是也氏は、「リアリズムなんてあんなものはここ4、50年の流行だよ。演劇ってもっと面白いんだ。」と言っておられた。だから、60年代の演劇革命は、演劇が本来持っていた魅力の復権だったといえる。

●アングラ世代が多様な表現方法を開拓したことで、われわれの方法は豊かになった。「ありそうなこと」しか許されなかったのが、「ありえないこと」も「あってほしいこと」もあらわせるようになった。「なんでもあり」になった。

●気がついてみると、これはブレストが拓いた道の延長線上でもあったし、かつて歌舞伎や能狂言が占めていた場所でもあった。

●こうした体験のあとでは、いつの間にか、リアリティーを求める方向も、多様な方法の一つと考えられるようになる。

●アングラ第一世代は、「新劇なにすつものぞ」という破壊のエネルギーに満ちていた。だが第二世代が登場する頃は、破壊すべき敵がいなくなったか、見えにくくなった頃である。だが彼らは第一世代のエネルギッシュな方法を受け継ぎつつ、「なんでもあり」ならこういうのもありだろうと、それぞれの世界を展開する。それが第三世代になると、破壊のエネルギーは姿を消して、多様な方法だけが咲き誇っている。そのあたりから小劇場という括り方になるのだろう。

●どこまでがアングラで、どこから小劇場なのか。その境目は必ずしも明確ではない。わたしはアングラ第一世代に共通の、新劇に対する敵対意識、破壊のエネルギーの有無が、アングラと小劇場を分ける物差しかなと思う。とはいっても、アングラ全盛期にすでに小劇場的発想を持っていた人もいるし、小劇場時代になってもアングラ的激しさを表現の特徴にしている人もいて、分け方は曖昧である。画然とどこかで分かれるというものではない。

●アングラ時代に、演劇はどこでもできることが証明され、劇場らしい劇場がなくとも演劇ができるという「わけで、数多くの小劇場が生まれ、そこを拠り所にしたことで、小劇場という括り方にはなったが、アングラのようにある種の共通性があったわけではない。あるとすれば空間の制約からくる舞台美術の新しい傾向とそれに見合った演出くらいで、中身は多様である。だから小劇場を代表する作家なり作品があるわけではない。

●それでも、前の時代には見られなかったいくつかの特徴をあげることはできるだろう。一つは、あらためてのリアリティーの見直しで、「静かなる演劇」という名でくくられる傾向で、代表選手は平田オリザだろう。日常生活を武器に、表面にあらわれないドラマを描いた。

●サンプル映像。平田オリザ作演出、青年団の「ソウル市民」

●もうひとつ、岡田利規のつくる舞台に身体性をてこにした新しい表現を見てみよう。

●サンプル映像。岡田利規作演出、チェルフィッチュの「三月の5日間」

●今の作品にもいえるが、多義的重層的な表現というのは、今や現代演劇の一つの特徴といえるだろう。テレビの影響で観客が変化したのだ。同時にいくつもの情報が受け入れられるようになると、演劇は変わらざるを得ない。

●アングラが切り拓いた多様な可能性が、豊かな現代演劇を作り出した、といえる。

0 件のコメント: