2010年11月9日火曜日

備忘録 台湾海峡問題(第3次台湾海峡危機から中台経済関係の高まりへ)

備忘録
台湾海峡問題
(第3次台湾海峡危機から中台経済関係の高まりへ)
(1)第3次台湾海峡危機
中国→台湾武力解放の選択肢を放棄せず
武力行使の条件:①台湾独立 ②台湾での内乱 ③外国による台湾侵略 ④核兵器開発
           ⑤北京が提案した交渉を長期にわたり拒否
日本・米国「平和解決原則」=武力行使に反対
 
1995.6月 李登輝訪米(コーネル大学で講演=台湾独立に近い発言)←中国抗議
1995.7月~1996.3月 台湾海峡で連続した軍事演習
とくに1996.3月は3次にわたる大規模演習(台湾沿岸にミサイル4発発射、台北より36Km)
                    (現在では、中国側、台湾沿岸にミサイル約1,400基)
1996.3月 米国、2つの空母艦隊を台湾近海に急派
 (日本から第7艦隊インディペンデンス、中東からニミッツ)→米中戦争の危機
中国は、総統直接選挙に李登輝が再選されないよう圧力をかける意図があった。
1997 江沢民国家主席訪米:米中関係修復
1998 クリントン大統領訪中」「3つのNO」(口頭での発言)
     ①台湾独立× ②2つの中国・一中一台× 
     ③主権が絡む国際機関(国連など)への加盟×(③は行き過ぎとの批判を受ける)
空母派遣による米中衝突を警戒。台湾独立への牽制。
1998 江沢民訪日:日本へも「3つのNO」への同意を迫る
   日本は、「中国は1つ」○ 「3つのNO」× (日本も認めると国際的な基準になる)
1999 李登輝「二国論」:「中台は特殊な国と国の関係」←「3つのNO」に対する反発
中国の考える交渉:中国ー地方政府(台湾)
台湾の考える交渉:中国ー台湾 対等な交渉
 
(2)中台経済関係
1996.8月(第3次台湾海峡危機後)台湾の財界人団体(全国工業会)60名の訪中団受入れ←江沢民主席が会談
中台の経済関係が強まりつつある→中国もこれを意識、台湾経済界を味方につける
 
1985 台湾、中国との間接貿易容認
1987 台湾、中国への小規模投資を黙認
1994 台湾プラスチック(王永慶会長)、福建省へ火力発電所(+発電機)建設計画
     投資額38億ドル(4,100億円)←台湾政府の反対
     →1996 撤回→米、HKを通じて再度計画→1997 撤回
李登輝「戒急用忍」:大陸への投資制限
  ・大陸への投資は、中国の経済力を高める。
  ・福建省などへのインフラ建設は、中国軍の台湾侵攻能力を強化。
1997 「大陸投資規範」
  ・1件5,000万ドル以上の投資を禁止
  ・大型インフラ建設禁止(ダム、発電所、空港、道路、鉄道、港湾)
  これによって、1997~2000の対中投資減少
陳水扁「積極解放、有効管理」:投資制限解除
2002 WTO(世界貿易機関)加盟→投資制限は出来ない
  ・投資額の上限規制撤廃
  ・防衛関連、核心技術関連の投資のみ禁止
2001より対中投資増加: 中国の貿易:台湾5位、中国への直接投資:台湾9位(2009)
    (米国、日本、韓国、シンガポールに次ぐ)
台湾の輸出の3割、対外投資の8割が中国向け(2007:台湾経済部)
中国在住の「台商」(台湾のビジネスマン)とその家族:100万人以上、進出企業10万社
2005 台湾奇美実業グループ創始者許文龍(台湾独立派)、「1つの中国」容認←在中国企業への中国政府による圧力
2006 陳水扁、対中経済関係を制限へ「積極管理、有効解放」に転換
2008 馬英九、中台経済関係を重視→「三通」の完全解禁へ
2010 ECFA(経済協力枠組み協定)調印=中台FTA
 
(3)陳水扁時代
2000.3月 民進党陳水扁、総統に選出(国民党政権終了)
  民進党の政治主張は「台湾独立」、しかし陳水扁は当初、対中国政策に慎重
2001.1月 「小三通」金門島、馬祖島と中国との直接貿易許可
     4月 李登輝訪日(引退後):すでに英国、チェコ、米国(数次ビザ)へ入国可能
     5月 陳水扁総統訪米(中米への中継地、ブッシュ政権は親台湾の姿勢を見せる)
     9月 国民党、李登輝を除名→李、台湾団結連盟結成
     12月 立法院選挙、民進党第1党へ、国民党4割減
2002.1月 中国とともにWTO加盟(ただし中台間にWTOのルールは適用されない)
     7月 陳水扁民進党主席へ就任←中国、ナウルの中国承認を発表
     8月 陳水扁「一辺一国論」中台は別々の国
2004.3月 陳水扁総統再選(投票日前日に狙撃を受ける)
        国民党の連戦は、親民党の宋楚瑜と連合を組み、中国との経済関係拡大を主張したが、僅差で敗北。藍色(国民党)と緑色(民進党)
     12月 立法院選挙、民進党過半数取れず(国民党、親民党で過半数へ)
2005.1月 中台、春節の直行チャーター便(航空機運航)に初めて合意
     3月 中国「反国家分裂法案」制定(台湾独立阻止、武力行使)
     4月 国民党・連戦訪中、分裂後、初の国共会談
     5月 親民党・宋楚瑜訪中
     7月 国民党新主席に馬英九
     12月 統一地方首長選挙で国民党圧勝(全地方自治体25のうち、国14、民6)
2006.1月 陳水扁、対中経済関係を制限へ 「積極管理、有効解放」に転換
     2月 陳水扁、国家統一委員会と国家統一綱領を事実上廃止←中国非難(米の不信)
     3月 国民党馬英九訪米「中台現状維持」
     5月 米国、陳水扁の通過滞在認めず
     7月 台北→上海、直行貨物航空便就航’チャーター便)
         (蘇貞昌行政院長は、対中交流積極論)
     8月~11月 陳水扁辞任要求運動(党内の対中政策対立、汚職スキャンダル)
     12月 台北市長郝龍斌(国民党)、高雄市長陳菊(民進党)当選
2007.1月 陳水扁、中米への途中でサンフランシスコ訪問(対米関係若干改善)
     2月 陳水扁「正名政策」(「中国」「中華」→「台湾」、「中正」×)
     6月 陳水扁、「台湾」名義での国連加盟の住民投票を2008総統選と同時に実施することを宣言(2007より台湾名義で国連加盟申請→国連は却下)米国は批判
     8月 陳水扁、中米歴訪、米国主要都市立ち寄りなし、アンカレッジ経由のみ許可
2008.1月 立法院選挙、国民党圧勝(113議席中81、総統罷免可能な2/3以上)
         陳水扁の挑発的な対中政策に対する批判、対中関係悪化が経済の不況につながるとの懸念
     3月 総統選(候補者:謝長廷(民進党)、馬英九(国民党))
        馬英九圧勝(国民党政権奪回)
        国連加盟に関する住民投票は、投票総数が有権者数の過半数に足せず不成立

(4)馬英九時代(国民党政権復活)
2008.5月 馬英九総統に就任(「中台共栄」、中台経済関係重視)行政院長劉兆玄
         「3つのノー」(統一せず、独立せず、武力行使を許さず)を確認
         民進党主席は、謝長廷→祭英文(元行政院副院長、女性)
         呉伯雄国民党主席訪中、胡錦濤国家主席と会談(中台対話再開に合意)
     6月 中国国務院台湾事務弁公室主任に王毅(前駐日大使、外務次官)を任命(外交?)
         台湾の海峡交流基金会江丙坤理事長訪中、陳雲林、胡錦濤と会談
         対日関係では、尖閣諸島で対立発生:台湾漁船が日本巡視船と衝突・沈没→
         抗議の漁船が台湾巡視船3隻を従えて領海侵犯→台湾政府「開戦も辞さず」
         「軍艦派遣」の発言→冷静な対応を主張した許世楷駐日代表は侮辱され辞任
         →ただし、日本側も漁船沈没には責任を認め賠償(馬英九は対日強硬?)
     10月 米国、台湾へ大規模武器売却許可(PAC3、アパッチ・ヘリ等)←中国抗議
     11月 陳雲林海峡両岸関係協会会長訪台、江丙坤、馬英九と会談(殴打事件も発生)
         航空直行チャーター便の大幅拡大、船舶直行も解禁→「三通」実現へ
         陳水扁、汚職容疑で逮捕
         APEC(ペルー)で、連戦国民党名誉主席、胡錦濤中国国家主席と会談
         中国、台湾のAPEC代表に大物認める(会談には王毅も同席)
     12月 「三通」開始、馬英九「両岸直行で、両岸が二度と対立せず、対立は和解に
         とってかわられる」
     末  胡錦濤国家主席「6項目提案」
        ①一つの中国の原則を守る、その上で・・、②経済協力協定締結、
        ③文化教育交流強化、④台湾独立の立場を変えれば、民進党とも対応、
        ⑤台湾への国際機関への参加、⑥平和協定締結、軍事対立終結
2009.5月 中国は、台湾のWHO(世界保健機関)オブザーバー参加を認める
     5月 高雄市長陳菊(民進党)訪中(中国、民進党分断工作を狙う)
     12月 陳雲林海峡両岸教会会長訪台(4月江丙坤海基会理事長訪中)
         →ECFA交渉開始
2010.1月 米国、台湾に大規模武器売却決定(PAC3、ハープーン、ブラックホーク)
         戦闘機F16は売却せず→しかし、中国から抗議
     6月 中台ECFA(経済協力枠組み協定)調印→統一交渉は拒否
     9月 尖閣諸島での中国漁船衝突事件の後、台湾の漁船、巡視船が日本領海へ接近
 
・中国・海峡両岸関係協会の汪道涵(2005年死去)は、国旗・国歌を新しく作って統一することを提案したと伝えられる。中国政府も「一国家二制度」を適用する場合は、香港は外交権、国防権を北京に預けたが、台湾は外交権のに(軍隊は保持してよい)と説明
・中国政府は現在では、中台経済関係をテコに統一を進めようと考えている。台湾経済界も親中国派が増えている。
・陳水扁の目的は、実質的な台湾独立であった、①台湾名義での黒煙加盟申請、②憲法改正(国名を「台湾」へ)、③世界保健機構(WHO)加盟←米国の反発(現状維持変更)
・馬英九は、中台現状維持を基本方針として、中国との貿易、投資の拡大、中国人観光客の受け入れを行い、台湾経済の強化を図ろうとしている。
・台湾国民の中には、中国との関係悪化を招く陳水扁の独立志向には反発を示したものの、国民党政権が中国に飲み込まれていくことへの懸念も存在する。台湾人アイデンティティーを主張する民進党に対する支持が復活する動きもある。
   

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