2011年2月11日金曜日

トークセッション 「焼肉ドラゴンのハツ(心臓)」 拝聴

平成23年2月10日(金・祝)
 
新国立劇場
マンスリー・プロジェクト 2月
17:30~18:45
小劇場
 
トークセッション「焼肉ドラゴンのハツ(心臓)」
 
出席者:鄭義信(チョン・ウィシン)…劇作家・演出家
     李闘士男(りー・としお)…映画監督
     宮田慶子(みやた・けいこ)…芸術監督
 
鄭さんと李さんは、04年「お父さんのバックドロップ」で、鄭さんが脚本、李さんが監督からの間柄。
李さんの母親が焼肉屋をやっていたことがあり、関西ではカルビと言わずバラというなど舞台にリアリティがある。
父親像は鄭さんの父親がモデルになっている。
在日に共通するキーワードが一杯入っているのが良く分かる。
1970年代の大阪が舞台。済州島出身者が大阪には多い。戦前から多かった。
李さん:汲み取りの時代だったのでウンコがプカプカとか物語の土台はリアリティがある。韓国では婿になる人を前の夜に花嫁の親戚がからかいまくる風習がある。
鄭さん:チャサ(祖先に食べさせそれを後で家族が夜中に食べる) 昔の風習が在日に顕著。
李さん:石川県の能登半島に美人が多いのは朝鮮との関係。泣き女の風習には引いてしまった。
     失ったもの(故郷の)を頑なに守ろうとする。
     自分は日本で生きていくので、日本の学校に行くように父母がした。
鄭さん:自分も同じ。
     家財道具が船で沈んだ話は本当の話。帰ろうとして。
李さん:ハングルをしゃべれない。3世。
鄭さん:ハングルをしゃべれない。祖母が釜山出身なので釜山の方言は分かる。
     本国人に対してコンプレックスがある。韓国人にはなれないので日本人の振りをする。
李さん、鄭さん:日本語で思考しているのでその意味では日本人。
李さん:差別されたことが無いのがコンプレックス。韓国人の気性はラテン系なので明るくなる。
     高校には5年行っている。大学は4年。
     鄭さんの脚本はリアリティがある。70年代の人間関係は非常に濃い。この時代は貧しくて苦労
     があったが、この時代がうらやましい。
鄭さん:次回「パーマ屋スミレ」は1960年代。伊丹空港の人夫は九州の炭鉱が潰れて流れて来たとい
     う話を聞いて万博につながっていく。1970年、労働運動、学生運動が無くなっていく象徴的な
     年。共同体が無くなっていく。
     (鄭さんは宮田さんと同じ生まれ年)
     この時代は未来を信じていたが、今は老後を心配することになってしまった。
李さん:鄭さんの脚本の衝撃が頭から離れない。勝手に動いていく。自分ではシナリオが書けなくなって
     しまった。演技はリズムでやってくれと言っている。セリフは話させない。動きから始める。人を
     どう描こうか?
     この「焼肉ドラゴン」は登場人物が皆チャーミング。さりげないセリフが大事になっているので
     は?
鄭さん:今回は演出家となっている。
     作家の鄭さんは軽井沢(笑)
 
*舞台には扇風機(テレビはない)
 匂いを届ける(焼肉の匂いの出し方は秘密)
 
李さん:2~3年前に映画の脚本を書いてもらったのをやりたいので韓国に行く。韓国語、韓国人役、
     者で韓国映画としてとる。(自分は韓国語を話せないが)
 
「焼肉ドラゴン」は、韓国で12日間14公演。
 
「焼肉ドラゴン」の舞台は、伊丹の近くの中村地区。

前回公演の看板は、恵比寿の虎の穴(焼肉屋)にあるとのこと。
店主の申さんが鄭さんのおっかけとのこと。この舞台をまた続けてもらいといと要望があった。

 ソウル・芸術の殿堂とのコラボレーション企画第二弾として2008年に東京都ソウルで上演された本作品は、両国で毎回スタンディング・オベーションとなる熱狂的な支持を受け幕を閉じた。その年の演劇賞を多数受賞した話題作、待望の再演。ある在日コリアンの家族を通して、日韓の過去、現在、未来を音楽入り芝居でおかしく、そして切なく描かれている。今回も、日韓の俳優・落語家・ミュージシャンのビビン(韓国語で混ぜるの意味)キャストが、息の合った舞台を繰り広げている。
 
ものがたりーーーー
万国博覧会が催された1970(昭和45)年、関西地方都市。高度成長に浮かれる時代の片隅で、「焼肉ドラゴン」の赤提灯が今夜も灯る。店主・金龍吉は太平洋戦争で左腕を失ったが、それを苦にすることもなく淡々と生きている。家族は、先妻との間にもうけた2人の娘と、後妻・英順とその連れ子。そして英順との間に授かった一人息子…ちょっとちぐはぐな家族と、滑稽な客たちで今夜も「焼肉ドラゴン」は賑々しい。些細なことで泣いたり、いがみ合ったり、笑い合ったり…。そんななか、「焼肉ドラゴン」にも、しだいに時代の波が押し寄せてくる。
 
<出席者プロフィール>
○鄭義信(チョン・ウィシン)
 1993年に『ザ・寺山』で第38回岸田國士戯曲賞を受賞。その一方、映画に進出して、同年、『月はどっちに出ている』の脚本で毎日映画コンクール脚本賞、キネマ旬報脚本賞などを受賞。98年には、『愛を乞うひと』でキネマ旬報脚本賞、日本アカデミー賞最優秀脚本賞、第1回菊島隆三賞、アジア太平洋映画祭最優秀脚本賞、『血と骨』でキネマ旬報脚本賞など数々の賞を受賞した。さらに平成13年度芸術祭賞大賞を受賞した『僕はあした十八になる』(2001年NHK)などテレビ・ラジオのシナリオでも活躍、エッセイ集『アンドレアスの帽子』なども出版。現在も、文学座、こんにゃく座、円などに戯曲を提供する傍ら、自身も作・演出をつとめるユニット(海のサーカス)に参加している。『焼肉ドラゴン』初演で第12回鶴屋南北戯曲賞、芸術選奨文部科学大臣賞受賞。新国立劇場では『たとえば野に咲く花のようにーアンドロマケ』の脚本を手がけ、来年3月には書き下ろし『パーマ屋スミレ』(演出も)の上演が予定されている。
 
○李闘士男(りー・としお)
 1964年生まれ、大阪府出身。日本大学芸術学部卒、卒業論文『“河内音頭”主義による謎解き「河内十人斬り」』が原案として、1990年読売新聞演劇部門、朝日新聞演劇部門で年間ベスト5に選出される。大学卒業時にはすでにディレクターとして活躍し、また、その後、とんねるず、タモリ、ダウンタウン、SMAPなどのバラエティ番組の演出家として活躍。以後、「美少女H」「世にも奇妙な物語」などドラマの演出を手掛け、04年に映画監督としてデビュー。
 <映画作品>04年『お父さんのバックドロップ』(配給:シネカノン、脚本:鄭義信)で監督デビュー。08年『デトロイト・メタル・シティ』(配給:東宝)公開。アジア各国でも上演される。10年4月『てぃだかんかん~海とサンゴと小さな奇跡~』(配給:ショウゲート)公開。実話に基づくオリジナル作品で、映画初主演の岡村隆志と松雪泰子の共演が話題に。10年5月『ボックス!』(配給:東宝)公開。市原隼人・高良健吾主演で、人間ドラマを鮮やかに描き、また、リアルなボクシング映像が高評価を得る。
 
○宮田慶子(みやた・けいこ)
 1957年生まれ。東京都出身。新国立劇場演劇芸術監督。80年、劇団青年座(文芸部)に入団。83年青年座スタジオ公演『ひといきといき』の作・演出でデビュー。翻訳劇、近代古典、ストレートプレイ、ミュージカル、商業演劇、小劇場と多方面にわたる作品を手がける一方、演劇教育や日本各地での演劇振興・交流に積極的に取り組んでいる。新国立劇場演劇研修所講師・サポート委員。社団法人日本劇団協議会常務理事、日本演出家協会副理事長。主な受賞歴に、94年第29回紀伊国屋演劇賞個人賞(『MOTHER』青年座)、97年第5回読売演劇大賞優秀演出家賞(『フユヒコ』青年座)、98年芸術選奨文部大臣新人賞(新国立劇場公演『ディア・ライアー』)、2001年第43回毎日芸術賞千田是也賞、第9回読売演劇大賞最優秀演出家賞(『赤シャツ』『悔しい女』青年座、『サラ』松竹)など。新国立劇場では上記『ディア・ライアー』のほか、『かくて新年は』『美女で野獣』『屋上庭園』を演出している。2010/2011シーズンは『ヘッダ・ガーブレル』『わが町』『おぐどみ』を演出。

 

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