2012年3月8日木曜日

新国立劇場 演劇「パーマ屋スミレ」 感動・・・涙、涙、涙

平成24年3月8日(木)
今日は曇っているが気温10度前後?
風が無いのでまあまあの天気
午後2時から新国立劇場で
「パーマ屋スミレ」を観る
まずは都庁32階で昼食
ポーク焼き定食
580円
1時15分頃に行ったので
空いていてよかった


食堂から新宿西口方面を眺める


食事後新国立劇場まで歩く


入場は1時30分から
小劇場ロビーに舞台のミニチュアが


舞台ミニチュアを横から


開演は2時からだが、1時45分頃から舞台は歌(演奏)から始まる。懐かしい歌、また炭坑節。
チケットは売れ切れのため、席は殆ど埋まっている。
脚本は鄭義信。一貫して新国立劇場に書き下ろしてきた「在日」を題材にした舞台の、いわば「三部作完結編」。1950年代の朝鮮戦争を背景に力強く生きようとする女たちを描いた『たとえば野に咲く花のように(2007年上演)、そして1970年前後の万博に沸く時代の焼肉屋一家を描いた『焼肉ドラゴン』(08年/11年上演)に続き、時代的には2作品の中間となる1960年代半ばの九州の炭鉱町を舞台にした、新作『パーマ屋スミレ』。
日本の高度成長期を底支えした人々の姿が、自分のこれまでの生き方を考え直す感傷的な気持ちになり少しずつ涙腺を刺激し最後は涙が出てしまった。最初は楽しく、だんだん深刻に、最後は感傷的に。こんなにのめりこめる演劇は久しぶり。また観てみたいけれど多分今後のチケットはすべて売れ切れだろう。
終演、4時45分頃。

パーマ屋スミレ
Sumire’s Hair Salon

九州、有明海を見下ろす場所にある「アリラン峠」。
1 一九六五年、夏、夕暮れ。
2 数日後、昼。
3 秋、夜。
4 二年後、夏、夕。
5 初秋、昼。
6 一年後、晦日、夕。
7 初春、昼。

ものがたり
‣1965年、九州。「アリラン峠」と呼ばれた小さな町があった。そこからは有明海を一望することができた。アリラン峠のはずれにある「高山厚生理容所」には、元美容師の須美とその家族たちが住んでいる。須美の夫の成勲は炭鉱での爆発事故に巻き込まれ、CO患者(一酸化中毒患者)となってしまう。須美の妹・春美の夫もまたCO患者となり、須美たちは自分たちの生活を守るために、生きるために必死の闘いを始めた。しかし、石炭産業は衰退の一途をたどり・・・。

2012年3月5日(月)~25日(日)
新国立劇場小劇場【THE PIT】
作・演出:鄭 義信(Chong Wishing)

キャスト(台本順)
高山(高)洪吉ーーーーーーーー青山達三
高山(高)初美 洪吉の長女ーー根岸李衣
高山(高)須美 次女ーーーーー南 果歩
高山(高)春美 三女ーーーーー星野園美
張本(張)成勲 須美の夫ーーー松重 豊
張本(張)英勲 成勲の弟ーーー石橋徹郎
大村茂之 初美の内縁の夫ーー久保酎吉
大杉昌平 春美の夫ーーーーー森下能幸
大吉 初美の息子ーーーーーー森田甘路
大大吉ーーーーーーーーーーー酒向 芳
木下(李)茂一ーーーーーーーー朴 勝哲
若松沢清ーーーーーーーーーー長本批呂士

美術 伊藤雅子
照明 小笠原純
音楽 久米大作
音響 福澤裕之
衣裳 前田文子
ヘアメイク 川端富生
演出助手 城田美樹
舞台監督 北条 孝

芸術監督 宮田慶子
主催 新国立劇場

(参考)
1939(昭和14) 政府は坑夫応召で強制連行による朝鮮人坑夫の導入開始。2年間で雇用数は2万人を超す。
1942(昭和17) 三池炭鉱へ朝鮮人の集団的移入が始まる。45年8月の終戦時で2297人。
1946(昭和21) 三池炭鉱労働組合結成。
1955(昭和30) 「石炭鉱業合理化臨時措置法」(スクラップ・アンド・ビルド政策)公布。
1959(昭和34) 三井鉱山、1278人の指名解雇を発表。
1960(昭和35) 1月、三池炭鉱でロックアウト。労組は全面無期限ストライキで抵抗。三池労組の切り崩しを狙って、会社側は約3000人の組合員で新労働組合(新労=第二組合)を結成(三池労組=旧労は9723人)。3月、新労の協力で三池鉱山再開。新労と旧労が激突(三川鉱事件)、暴力団の手で久保清さん刺殺される。12月、旧労がスト解除。指名解雇は撤回できないまま、全面就労。
1962(昭和37) 政府は「石炭政策大綱」を決定、「閉山方向」へ転換。
1963(昭和38) 11月9日、三川鉱で炭塵爆発、史上2番目の死者458人、生存者941人のうち、意識不明435人、CO中毒患者839人。

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