2011年7月16日土曜日

モーニングコンサート 第8回 網守将平:作曲、鈴木乃維:ピアノ

モーニングコンサート 第8回
東京藝術大学奏楽堂



指揮:山下一史
演奏:藝大フィルハーモニー

熱射の中、ほぼ満員の観客。

前半は、作曲の網守将平の曲。演奏前の挨拶で現代音楽は演奏が非常に難しいので演奏者に感謝しますとの挨拶。聴く側もどう聴いて良いのか分からず混乱。本来クラシックはサロン的な演奏会で気軽に聴けるような音楽だったのが、現代は映画やゲームなどとの結びつきで映像などとつながって楽しむ音楽なので演奏会で純粋に聴くのは苦労する。曲の内容は良いのだけれど。
後半は鈴木乃維のピアノ協奏曲。ショスタコーヴィチのこの協奏曲はエンターテイメント性も十分で楽しく聴かせてもらえた。

前半
◆網守将平(4年) Syohei Amimori
網守将平:PARA-NOIA(演奏時間 約12分)

1990年東京都生まれ。2007年度(第31回)ピティア・ピアノコンペティション特級において、新曲課題曲作品賞受賞。2010年、旧東京音楽学校奏楽堂にて行われて木曜コンサート(作曲)において室内楽作品を発表。2011年東京藝術大学内において長谷川良夫賞受賞。クラシック・現代音楽の作曲活動のほか、電子音楽の領域においてコンピューターを用いたライブパフォーマンス、多くの映像作品への楽曲提供を行っている。2010年、ヤング・ポール監督長編作品「真夜中の羊」のサウンドトラックに参加。同年11月、12チャンネルによるサウンドインスタレーション「MODE、TONE and CLUSTER」を発表。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て、現在、東京藝術大学音楽学部作曲科4年在学中。

プログラムノート
当然の事ではあるが、豊かな都市というのは一般的に「心地良い。元気になれる。気分が落ち着く。」などといった効果を人々にもたらし得る建築、空間デザインが施されている。これらは雰囲気や直感ではなく、その創作過程において暗黙的に使われてきたノウハウや各々の価値観に基づく指針をある種のパターンとして体系的に言語化し、それをツールとして用いて作られてきた。やがて都市は自己組織化され複数の中心をパラレルに成し、ネットワーク化する。都市に内在する人々(の多く)は無意識に買い物をアフォードされネットワークを行き来するが、アフォードされない人あるいはできない組織というものも確実に都市には存在し、劣等生的に、しかし都市の構造内において重要な素材として意味づけられる。興味深いのは、この時空間はどこまでが意図して創られた構造でどこからがそうでないか。種類は違うが、例えば蛍の群れ。位相の揃った光のパターンは反復を繰り返しながら徐々にズレが生じたり、群れから外れるものもあれば、当然オスは光でメスを口説くため明滅のパラメータは変化する。非線形科学におけるカオス。この美しいパターンは誰かがデザインしたものかもしれないし完全なる無秩序なのかもしれない。あるいはそのどちらでもなく、全くもって不可分なのかもしれない。
ここまで記した事が音楽を作る上で無関係だとは考えがたい。音楽も「エクリチュール」というある種のツールが利用され発展してきた。しかし音楽は時間芸術としての文脈が圧倒的に強いため、始まりと終わりを設定しその中でジェットコースターの様に展開する無駄の無い作品が名曲と呼ばれ、徹底的なソフィスティケイトが成される傾向が見受けられる。この事は無意識の内に歴史そのものに実践されたマニュアルとも言える。しかし空間的な概念やパターンの研究によって、無駄に思える素材も生き生きしてくるのではないかと自分は考える。
「PARA-NOIA」は、ある一つの中心的な響きのパターンに全く種類の異なる響きがある種のノイズとして唐突に挿入される様をひたすら反復する作品である。反復の中には様々な差異をパラレルに生む細やかな素材が含まれており、それらは生まれては消えていく。やがて反復自体を反復するメタ構造の表出やメインの素材である響きの形骸化と再生などが訪れるが、曲に一貫している基本的な構造の内部においてそれらは行われる。
変わるモノと変わらないモノの狭間に創作における重要な要素が隠れているという事はとても重要かつ普遍的なことで、二項対立やバイナリ思考はもはや有効ではなくあらゆるものが有限で閉じていることを実感させられる。このような壁を前にした時創作においてできるのは、新しい何かを無限に生み出すことではなく、「死と再生」の循環を前提にしたホモロジー思考の創作かもしれない。

後半
◆鈴木乃維 (4年) Noi Suzuki
D.ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲 第1番 op.35 (演奏時間 約24分)

1988年愛知生まれ。明和高等学校を経て現在、東京藝術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻4年在学中。

ソロ・トランペット:神代修(藝大フィルハーモニア)
1987年第4回日本管打楽器コンクール第1位。
1988年第57回日本音楽コンクール第2位(1位なし)。

プログラムノート
旧ソ連共産党体制を、音楽による皮肉で批判したドミートリー・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ(1906~1975)27歳の作品。モスクワ音楽院を修了後、ピアニストとして開化すべく参加した第一回ショパン国際ピアノコンクールで名誉賞に終わってしまい(因みに第一回の一位はレフ・オボーリンである)、作曲家としてせんねんし始めた頃の作品である。この頃からショスタコーヴィチの特徴とも言える「引用による皮肉」は顕著に作品に出ており、同時期の作品には「24の前奏曲」というタイトルも構成も明らかにショパンを意識しているものの、内容は実に皮肉や辛辣な要素で埋め尽くされている作品や、西側諸国のファシズムを痛烈に批判したバレエ「黄金時代」などがある。彼は旧ソ連共産党のプロパガンダとして、西側諸国の音楽や民謡を皮肉と言う形で引用し自らの楽曲に大いに用いた。その後旧ソ連は、西側ファシズムとの戦争が激化しスターリンによる言論統制、芸術統制はますます厳しくなっていった。1936年の共産党中央委員会機関紙「プラウダ」での彼の創作傾向に対する批判は、その後の彼の作曲活動に大きな影響を与えたことは言うまでもない。
当初、トランペット協奏曲として構想されたピアノ協奏曲第一番は、弦楽合奏とトランペット、ピアノという特徴的な楽器編成となっている。ショスタコーヴィチは自伝にて「わたしはソヴィエトの作曲家である。わたしは現代を、英雄的な、はつらつとした、きわめて快活な時代だと感じている。このことを自分の協奏曲で伝えたかったのである。」と述べており、その言葉通り様々な曲の引用や楽しい仕掛けが隠されている。また映画音楽を手がけていたこともありエンターテイメント性も十分である。

第一楽章 アレグレット ハ短調 4分の4拍子
ピアノとトランペットのまるでサーカスのこけら落としのような幕開けの後、ベートーヴェン作曲熱情ソナタのテーマの引用が表れる。これはショスタコーヴィチ自身が「どんな無知な人が聞いても熱情ソナタの引用だと分かるようにした」と言うほど明白に聞き取ることができる。

第二楽章 レント ホ短調 4分の3拍子
弦楽合奏の気だるく叙情的なメロディがロシアの広大な大地の夕陽の自然美を魅せた後、ピアノが甘くなんとも官能的に答える。だが、そんな幻想的なシーンを一変するかのように一気にフォルテッシモになり弦楽合奏もピアノもうなるのである。そして、再び幻想的な調べとともに閉めくくる。

第三楽章 モデラート 変イ長調 4分の4拍子
遊び心あふれるピアノソロで始まる第三楽章はフィナーレへの序章であった。旧ソ連共産党の行進を思わせる弦楽合奏を経た後、いよいよこの曲の最も華やかで楽しいフィナーレへと突き進む。

第四楽章 アレグロ・コン・ブリオ ハ短調 4分の2拍子
「疾走」と「皮肉」という言葉がここまでふさわしい曲はないだろう。中間部では弦楽合奏とトランペットが民謡風の音楽を奏でているところにピアノが不協和音を躊躇なくぶつけたり、カデンツアではハイドンのピアノソナタやベートーヴェンの「無くした小銭への怒りーロンド・カプリチオーソ」の引用を用いたのち、トウツテイでハ長調の主和音をまるでベートーヴェンの交響曲の皮肉のように何度も執拗に繰り返した後終わる。

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