日中関係が進展することに伴って、外交的対立点も多様化している
(1)80年代の対立点
*中ソ関係不安定
1972年 日中国交回復・日中共同声明
1978年 日中平和友好条約締結(尖閣列島事件→棚上げ)
1.1982年 教科書問題(文部省検定:保守的立場による書き換え)→「近隣条項」
*1982年 中ソ関係安定 → 日本との摩擦開始
2.1985年 靖国参拝問題(中曽根首相)
3.1987年 光華寮問題(京都の中国人留学生寮→裁判判決:台湾に所有権)
→ 2007年 最高裁判決:台湾に原告権限なし
【対立点は歴史問題、台湾問題】
(2)90年代の対立点
1990年 日本が天安門事件の対中制裁解除(中国の国際的孤立化回避、改革開放政策を支援)
1992年 天皇訪中(日中関係は良好)
1992年 中国領海法成立(尖閣諸島(釣魚島)、台湾、南沙諸島の領有明記)
1995年 「村山談話」 村山首相が首相として日本の戦争責任を明確に認める
1.中国の核実験(1993-96に連続して7回)
1996年 中国 CTBT(包括的核実験禁止条約)調印
1995年 日本は対中無償資金協力凍結→1997年 凍結解除(中国側の反発が強い)
2.尖閣諸島(釣魚島)問題
(1996年 右翼団体による灯台設置、橋本首相の靖国参拝も背景にある)
中国政府の抗議、香港・台湾で激しい大衆運動+島への強行上陸
中国は大衆運動を抑え込む(香港返還への配慮、大衆運動への警戒)
3.日米安保ガイドライン問題
(1996年 日米安保共同宣言「アジア太平洋の平和と安定」、
1997年 日米防衛協力の為の指針(ガイドライン)発表、
1999年 国会承認)
ガイドラインが対象とする地域(「日本周辺」)に、台湾海峡が含まれるか否か
日本「含まない」 米国「安全保障上の範囲は明確にしないことが常識」
*朝鮮戦争のトラウマ
【中国社会科学院:日中の対立点は、歴史、台湾、領土、安全保障】
1998年 江沢民(父親が日本協力者だった)国家主席訪日
(歴史問題の強調、日本人の嫌中感増大)
中国外務省 「訪日失敗」との評価(未公表)
ただし、日中共同宣言(パートナーシップ)
2000年 朱鎔基首相訪日(関係改善)
「現在の日本人に戦争責任など無い」→中国ネット上で激しい批判「売国奴」
中国も外交政策に世論の影響が見られ始める(従来は強制的押さえ込み)
(3)2000年代の対立点
1.靖国参拝問題(小泉首相2001~06年に6年連続参拝)
2.遺棄化学兵器問題(2003年 黒竜江省チチハルで旧日本軍の毒ガス事故→死者、重傷者)
日本政府、謝罪(3億円支払い)
他にもハルバ嶺などに埋まっている→日本による処理
3.尖閣諸島(釣魚島)問題
2004年 中国人活動家が初めて上陸(7名逮捕、小泉内閣は即時強制送還)
2010年 領海に侵入した中国漁船と海上保安庁巡視船が衝突
(管内閣、漁船員は送還、船長の起訴を試みる→中国は強い反発=レアアース輸出停止、「フジタ」社員4名拘束など)
4.東シナ海ガス田開発問題(日中の領海問題、2004年より)
日本:日中中間線、中国:大陸棚説(沖縄の近くまで中国領海)
日中中間線説をとると、中国が開発した春暁、龍井ガス田が問題となる。
→ 2008年 日中共同開発に合意(春暁へ日本が出資、龍井は共同開発検討)→協議は進まず
5.安全保障問題
2004年 中国の原子力潜水艦による日本領海侵犯(沖縄)
2005年 日米安全保障協議委員会、共通の戦略目標に台湾海峡の安定を含む(中国抗議)
2006年 上海総領事館員自殺問題(電信官、04年5月自殺、中国情報機関が関与?)
6.台湾問題
李登輝訪日 (2001年 心臓病治療 2007年 観光 その後も)
7.貿易摩擦
2001年 日本が暫定セーフガード(輸入制限)発動(日本:中国産ネギ、シイタケ畳表の輸入を200日間輸入禁止、中国の対抗策:日本製自動車、携帯電話、クーラーに100%の特別関税付加)→日本は本格的セーフガードへの移行を断念
2002年 日本へ輸出の中国産農産物残留農薬問題
2006年 中国へ輸出の日本製化粧品SK-Ⅱ(マックスファクター製)に有害物質混入疑惑→無害、しかしSK-Ⅱは以後、中国では売れない(その後、復活)
2008年 日本が委託する中国産冷凍餃子に毒物が混入(中国はオリンピックへの悪影響を避けようとして自らの責任を否定、2010年中国人犯人逮捕)
2010年 尖閣諸島をめぐる漁船衝突事件によって、中国はレアアースの輸出を停止
8.中国における反日意識の高まり
2003年 珠海集団買春事件(責任は中国側にも大きいが、反日感情高まる)
2003年 新幹線問題(北京ー上海高速鉄道に、日本の新幹線導入?→反対の世論)
2003年 西安・寸劇事件(西北大学文化祭、日本人留学生の下品な出し物→反日デモ)
2004年 サッカーアジア杯・ブーイング事件(重慶、済南、北京)
2005年 大規模な反日デモ(成都、深圳、広州、北京、上海、瀋陽)日本の国連安保理常任理事国入りの運動が契機か?
2010年 尖閣諸島問題による内陸部(西安など)での反日デモ
【日中間の摩擦が、従来の対立点に加えて経済貿易問題、その他へ広がる。また、双方の国民レベルでの反発も発生】
2001年 小泉首相訪中(盧溝橋・抗日戦争記念館訪問)→以後、靖国訪問によって交流中断
2006年 安部首相訪中(初の外遊先、中国。小泉首相時代の靖国参拝を否定、関係改善)
2007年 温家宝首相訪日(「戦略的互恵関係」の構築に努力)
2007年 福田首相訪中(外遊先として、米国の次に中国)
2008年 胡錦濤国家首席訪日(未来志向の関係改善、「戦略的互恵関係」推進の日中共同声明)
2008年 四川大地震へ日本の国際緊急援助隊(救助、医療)派遣(中国側より感謝)
2008年 胡錦濤国家主席訪日(北海道洞爺湖サミット出席、四川への援助隊派遣に感謝)
2008年 福田首相訪中(北京オリンピック開会式参加)
2008年 麻生首相訪中(北京開催のASEM=アジア欧州会議参加)
2009年 麻生首相訪中(中国国民の訪日個人観光開始)
2009年 鳩山首相訪中(食の安全に関する日中定期協議提案)
2010年 温家宝首相訪日(東シナ海ガス田開発問題、日中食品安全推進イニシアティブなど)