2011年4月25日月曜日

演劇 ゴドーを待ちながら(新国立劇場小劇場)

毎日新聞 平成23年4月25日(月)夕刊
高橋豊さん
 リアルな生活感まで出す橋爪
「あってはならないことが起きてしまった時、例えば今回の東日本大震災と一連の原発事故に接していると、不条理劇を代表する本作品がとても身近に感じられる。残酷で筋道が通らないこの世界をどう受け止めればいいのか、登場人物と共に私たち観客も迷いながら探ろうとするからだろう。
 サミュエル・ベケット作、岩切正一郎訳、森新太郎演出。
 田舎道に1本の木。よく知られた設定を、森は対面式の舞台とし、上手と下手のそれぞれ奥を、彼方の世界に通じるトンネルとした(美術・磯沼陽子)。
 ヴラジミール(橋爪功)とエストラゴン(石倉三郎)の、さえない初老の男2人が、道端で時間をつぶしている。時に哲学的で深遠なことも口にするけれど、ほとんどが他愛のない話。彼らはゴドーを待っているのだが、実は会ったことがない。ポッゾ(山野史人)とラッキー(石井愃一)の主従が通りかかる。
 2幕目、枯れ木と思えた木に3枚の葉が生えたけれど、ポッゾは視力を失い、ラッキーは発語できなくなっていた。待ち続けるヴラジミールとエストラゴンの前に少年(柄本時生)が現れ、ゴドーが来ないことを告げた。
 劇的な物語があるわけではないから、俳優の人間性が試される手ごわい舞台だ。石倉の直線的な問いかけを、橋爪がやわらかに受け止め、生き生きと進行させて、前衛劇にリアルな生活感まで感じさせる。日本初演から半世紀が過ぎた。5月1日まで。

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