2011年5月21日土曜日

プラシド・ドミンゴ コンサート・イン・ジャパン2011 ドミンゴに感謝! 4月10日に来日して歌ってくれるなんて

プラシド・ドミンゴ コンサート・イン・ジャパン2011

チャンネル :BSプレミアム
放送日 :2011年 5月21日(土)
放送時間 :午後4:30~午後6:00(90分)

素晴らしい歌声。歌手二人がこの4月10日のコンサートをキャンセルせずに日本に来てくれたことに感謝。
また、コンサートの模様を放送してくれたNHKにも感謝。既にドミンゴさんのインタビューは放送で観ていたが、この歌声には感激した。
やはり音楽は力がある。

プラシド・ドミンゴ コンサート・イン・ジャパン2011 出演:プラシド・ドミンゴほか 曲目:歌劇「トスカ」から「星はきらめき」「魅惑の宵」ほか NHKホール

世界の頂点を極めたテノール、プラシド・ドミンゴが、2011年4月10日に東京・NHKホールで行ったコンサート。オペラのアリアやミュージカル、サルスエラなどの名曲の数々が歌われたもようを、本人のインタビューも含めて放送する。【曲目】歌劇「トスカ」から「星はきらめき」(プッチーニ)、ミュージカル「南太平洋」から「魅惑の宵」(ロジャーズ)、サルスエラ「マラビーリャ」から「恋人よ 我が命の君よ」ほか

【出演】テノール…プラシド・ドミンゴ, ソプラノ…ヴァージニア・トーラ, 指揮…ユージン・コーン, 管弦楽…日本フィルハーモニー交響楽団

「喜歌劇“ほほえみの国”から“君はわが心のすべて”」
(テノール)プラシド・ドミンゴ
「喜歌劇“メリー・ウィドー”から“唇は黙して”」
(テノール)プラシド・ドミンゴ、(ソプラノ)ヴァージニア・トーラ
「歌劇“トスカ”から第3幕導入部~“星はきらめき”」
(テノール)プラシド・ドミンゴ
「歌劇“アンドレア・シェニエ”から“国を裏切る者”」
(テノール)プラシド・ドミンゴ
「歌劇“リゴレット”から祭りの日にはいつも~泣け 娘よ」
(バリトン)プラシド・ドミンゴ、(ソプラノ)ヴァージニア・トーラ
「ミュージカル“南太平洋”から“魅惑の宵”」
(テノール)プラシド・ドミンゴ
「ミュージカル“サウンド・オブ・ミュージック”から“私のお気に入り”」
(ソプラノ)ヴァージニア・トーラ
「ミュージカル“マイ・フェア・レディ”から“君住む街で”」
(テノール)プラシド・ドミンゴ
「ミュージカル“ウエスト・サイド物語”から“トゥナイト”」
(テノール)プラシド・ドミンゴ、(ソプラノ)ヴァージニア・トーラ
「サルスエラ“マラビーリャ”から“恋人よ わが命の君よ”」
(テノール)プラシド・ドミンゴ
「サルスエラ“ラバピエスの理髪師”から“パロマの歌”」
(ソプラノ)ヴァージニア・トーラ
「サルスエラ“港の酒場女”から“そんなことはありえない”」
(テノール)プラシド・ドミンゴ
「想いのとどく日」
(テノール)プラシド・ドミンゴ、(ソプラノ)ヴァージニア・トーラ
「ふるさと」
(テノール)プラシド・ドミンゴ、(ソプラノ)ヴァージニア・トーラ
「グラナダ」
(テノール)プラシド・ドミンゴ

アナ・マリア・マルティネス(ソプラノ)はアーティストの都合により、来日ができなくなりました。 代わって、ヴァージニア・トーラ(ソプラノ)が出演。

ヴァージニア・トーラ ( ソプラノ)

 アルゼンチン生まれのソプラノ歌手、ヴァージニア・トーラは、生まれ故郷、ブエノスアイレスのコロン歌劇場をはじめ、ローマ歌劇場、トリノ王立歌劇場、トリエステ・ジュゼッペ・ヴェルディ歌劇場、ワシントン国立歌劇場、ロサンゼルス歌劇場、マドリッド王立歌劇場、ベルギー王立歌劇場などの劇場で国際的に高い評価を得てきた。「コジ・ファン・トゥッテ」のフィオルディリージ、「セビリアの理髪師」のロジーナ、「椿姫」のヴィオレッタ、「ルイザ・ミラー」のタイトル・ロール、「オテロ」のデズデモーナ、「ラ・ボエーム」のミミ、「ファウスト」のマルグリート、「道化師」のネッダ、「メフィストフェレ」のマルゲリータなどの役を演じている。

 トーラは2008年秋、ヴィオレッタ役でローザンヌ歌劇場で、続いてフィオルディリージ役でネザーランド歌劇場で、それぞれデビューを果たした。2009年6月には伯爵夫人役でブリュッセルのベルギー王立歌劇場に再登場している。ワシントンD.C.、メキシコ、モスクワ、ケベックでのコンサートでプラシド・ドミンゴと共演した後、ブエノスアイレスに戻り、「オルフェオとエウリディーチェ」のエウリディーチェ役を歌った。2009年/2010年のシーズンには、ワロン王立歌劇場で「ファルスタッフ」のアリーチェ・フォード役を、モンテカルロ歌劇場で伯爵夫人役を歌い、プラシド・ドミンゴとともに中国でコンサート、ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団と共演。最近ではロサンゼルス歌劇場に「ラ・ボエーム」のミミ役で再登場し、同じ役でボルドー歌劇場デビュー。さらにレパートリーが増え、「フィガロの結婚」の伯爵夫人役をヴァレンシアで、「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・エルヴィーラ役をセビリアで歌った。

 ヴァージニア・トーラはブエノスアイレスで声楽を学び、1999年、アルゼンチン批評家協会により1999年シーズンの「驚異」と賞賛された。同年、ビルギット・ニルソン、クリスタ・ルートヴィヒ、テオ・アダム、イングリッド・ビョーナーらが審査員をつとめるノルウェー、オスロの「ソニア王妃」国際声楽コンクールで第1位となり、国際的に注目されるようになった。引き続きマリス・ヤンソンス、マルチェッロ・ヴィオッティ指揮オスロ・フィルハーモニー管弦楽団とスカンジナビア・ツアー。2000年、プラシド・ドミンゴが主宰する国際コンクール、「オペラリア」で最も重要な3つの賞を受賞した。



プラシド・ドミンゴ(テノール)

プラシド・ドミンゴは事実上全てのレパートリーをこなし、世界中の何百万人もの熱狂的なファンから尊敬また賞賛され、今その活動は頂点に達している。彼は類まれなるオペラ歌手であり、一度聞くと忘れられない磨きのかかった声はその強さ、深さ、繊細さで知られている。

1941年1月21日、マドリードで生まれた。両親は人気のあったサルスエラ歌手で、ドミンゴが8歳の時に劇団を設立し、メキシコ市へと移住した。ドミンゴの初期の音楽教育には、両親のプロダクションの出演での経験が含まれている。学生時代はサッカーを楽しみ、学校のチームのゴールキーパーをしていた。

プラシド・ドミンゴのキャリアはサルスエラを歌うことで始まり、<マイ・フェア・レディー>のメキシコ・プレミアにも出演した。1959年メキシコ・ナショナル・オペラのオーディションに受かったのち、彼はオペラのレパートリーを習得し始め、1961年にメキシコ・モンテレイ歌劇場において<椿姫>でデビューを飾った。

1962年にイスラエル・ナショナル・オペラは6ヶ月の契約を彼に申し出た。そこで彼はこの後2年半の間に12の主役で280もの公演に出演している。アメリカにおいては数々の公演で成功を収め、1965年10月17日<蝶々夫人>でニューヨーク・シティー・オペラにデビュー、1968年9月28日には<アドリアーナ・ルクーヴルール>でついにメトロポリタン歌劇場のデビューを飾った。その後25年に亘って、世界中のどこのオペラハウスよりもメトロポリタンでのパフォーマンスが多く、カルーソー以来、誰よりも多くメトロポリタン・オペラのオープニング・ナイトに出演している。

プラシド・ドミンゴは定期的に世界の主要なオペラハウスで公演を行い、イタリア語とフランス語の役を見事に歌い、多くの聴衆を魅了してきた。彼はレパートリーを拡げ続け、<マイスタージンガー>、<ローエングリーン>、<タンホイザー>、<ワルキューレ>のタイトルロール、そして<影のない女>の皇帝役といったドイツオペラのレコーディングも行うに至った。舞台でのドイツオペラの役には<ローエングリーン>、<パルシファル>、そして<ワルキューレ>のジークムントがある。

常に新しい役を学ぶべく自分自身にチャレンジし、新作も完璧にこなしている。1966年にリンカーン・センターのニューヨーク州立劇場でアメリカ初演されたアルベルト・ヒナステラの書いた<ドン・ロドリーゴ>、そして1986年にはワシントンD.C.で世界初演された、ジャン・カルロ・メノッティによってドミンゴの為に書かれた<ゴヤ>などがその代表例である。

彼は多くの作品をレコーディングしたアーティストで、今までに59作品のオペラを全曲収録したアルバムを87枚発売しており、また数々のソロやデュエットのアルバムも発売している。その内8枚はグラミー賞を受賞している。また、クラシック音楽と同様ポピュラー音楽のレパートリーにも精通している。ジョン・デンバーとレコーディングした<Perhaps Love>は世界中で数百万枚を売り上げ、その他にもクロスオーバーのアルバムで成功している。彼の公演はよくテレビ放映でも見ることができ、ゼッフィレッリ監督の<椿姫>と<オテロ>、そしてフランチェスコ・ロージ監督の<カルメン>といった3本の大好評を得たオペラ映画にも出演している。1992年の7月にはエミー賞受賞作となった<トスカ>のカヴァラドッシを演じ、この作品は歴史的背景を持つ3ヶ所のローマの撮影現場から生放送された。 

“プラシド・ドミンゴ”という名をスペイン語から日本語に訳すと“平和な日曜日”となるが、実生活はこの意味合いとはかけ離れたものといえる。彼はオペラの成功を追及すると同時に、1973/74年のシーズンにニューヨーク・シティー・オペラの<椿姫>で指揮者としてデビューしており、以来主要なオペラハウスやコンサートホールで公演を行いながら、指揮者としてのキャリアでも同時にその成功を追及している。彼はまた、自身の溢れるプロデューサー的才能をロサンジェルス・オペラで芸術コンサルタントとして、また1992年のセビリア世界万博の音楽監督としても活かしている。

慈善活動においても、1985年のメキシコ地震の際、被害者のためにとった彼のたゆまぬ博愛的努力は、結果として何百万ドルもの寄付金を集めるに至った。彼の声でオペラハウスの観客を感動させるときも、指揮台からオーケストラのタクトを振るときも、また彼のすぐれた才能を以って新しい企画を舞台化させるときも、プラシド・ドミンゴは真の意味のルネッサンス・マンである。

2010年の10月末から11月の中旬には16年振りのサンフランシスコ・オペラで<シラノ・ド・ベルジュラック>の公演を成功に幕を閉じた。

そして11月11日にラテン・グラミー賞で"Person of the Year"賞を受賞し、今迄以上に充実で多忙な毎日を過ごしている。

2011年4月10日
NHKホール
S席-28000円
A席-22000円
B席-15000円
C席-7000円

2011年4月13日
サントリーホール
S席-35000円
A席-28000円
B席-20000円
P席-10000円

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